
これはRさんという男性の体験談である。
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高校を卒業した頃、Rさんは原付バイクを乗り回していた。休日はゲームセンターで友人と遊び、レストランでコーヒーを飲みながら夜を明かすという生活だ。
その夜も仲間は一人抜け二人抜け、最後にはRさんと孝治さんの二人になった。そんな時、孝治さんがこう言った。
「時間潰すのも飽きたし、春日井から多治見に流して瀬戸まわって来ようか?」
Rさんはすぐに頷いた。
「いいね、峠道有り、川沿いのワインディング有りで!」
二人は店を出て原付バイクにまたがった。国道19号線から内津峠を抜け多治見市へ。多治見駅前から愛岐道路に入り定光寺まで抜ける。
155号線に入り瀬戸市に差し掛かった時の事だった。左に大きく曲がるカーブでヘッドライトに照らされたガードレールの向こうに白い物がちらりと見えた。
(あれ?)
右に曲がりのカーブを抜けて、再び左カーブ。先ほど何かが見えた場所に差し掛かる。
(さっきの、何だったんだ……?)
Rさんはスピードを落として目を凝らす。するとそこには、女がいた。
「うわっ!?」
ガードレールの向こうは川が流れている。道路より四メートルは低いところを流れる川だというのに、その女はあろうことか、道路と同じ高さに浮いていた。
(ああ……、また霊か)
Rさんは時々そういうものを見ることがあった。右手に力を込めて、そこから逃げるように加速する。
少し先にある交番の前の交差点で、赤信号になり止まった。ところで、孝治さんが興奮気味に声をかけてきた。
「さっき、ガードレールの向こうに白い物見えへんかった?」
Rさんはフルフェイスのバイザーを開けてこう答えた。
「ああ、いたね。気になったからスピード落として良く見たら、女が浮いてた。まあお前にも見えたなら、けっこうヤバイ奴かもな……」
その時のことだ。Rさんのバイクのエンジンが突然ストールして止まってしまった。
「ん?あれ?」
Rさんはキックを蹴るが、エンジンがかからない。孝治さんが心配そうに声をかける。
「おい、大丈夫かよ」
Rさんがキックを蹴る音と、バラバラ、バラバラバルルーンという2ストロークの軽い音の後にエンジン音が響いた。孝治さんはそれを見てこう言った。
「大丈夫そうだな、よかった!お、青だ。行こう!」
孝治さんのスクーターが軽快な音をたてて走り出す。Rさんはクラッチを繋げようとしたが、
パラパラパルル!
と、エンジンがストールしてまた止まってしまった。
「おいおい……、参ったな、ガス欠かよ」
タンクの下のコックを手探りでリザーブに切り替える。
(もう一回蹴ればなんとかなるか)
その時だった。
ギシリ……
後ろに誰か乗ったようにして、サスが沈み込んだのを感じたのだ。
「……っ!」
背後に意識が移った瞬間、ハッキリ“ソレ”の存在を感じた。
(誰かが、俺の肩を掴んでいる! )
真冬の寒い季節だったが、体中の毛穴から汗が溢れたように思った。自分でも聞こえる位バクバクと心臓が音をたてる。
ミラー越しに微かだが、髪の毛が見えた。生々しい手の感触が伝わって来る。それが肩から首の方に滑る様に移動した。そして、首筋に冷たい手が触れた瞬間――
孝治さんのバイクが戻ってきた。
「先輩、どうしたん?ガスけ……!」
だが孝治さんは途中で言葉を失い、アクセル全開で遠ざかっていくではないか。
「おい、逃げるな!……戻ってこい!!」
Rさんは絞るような声ながら、思い切り怒鳴りつけた。逃げ出した孝治さんに腹が立っていたのだ。
気が付くとRさんは、持っていた交通安全のお守りを手に持ち、自分の周りに振り回していた。殴れる筈もない女の幽霊を殴ろうとしたのだろう。
――やがてRさんが我に返ると、背後の気配は消えていた。
(よかった……)
Rさんが自分を落ち着かせるように深呼吸をしてキックを蹴ると、今度はエンジンも素直にかかった。
孝治さんは数メートル先で停まって待っていた。Rさんの怒鳴り声と、その後の変な行動に驚いたのだろう。Rさんもその隣にバイクを停め、情けなくこう言った。
「……置いていくなよ」
「すみません。先輩、怖かったんで」
その時のことだ。Rさんは、信じられないものを目にした。
孝治さんの後ろに、あの女が乗っている。
(……!!)
「どうしたんすか?」
孝治さんはそうと気づかず、様子のおかしいRさんに声をかけた。だがRさんにははっきりと、孝治さんの背中に乗る女の姿が見えている。Rさんは怯えを隠してこう言った。
「いや……もう、今日は帰るよ」
「そうっすね、いやなもの見ましたし……」
帰る方向は一緒だったが、そこで別れて別々に帰宅した。
翌日、どうしても気になったRさんは、朝一番で孝治さんに電話をかけた。孝治さんは寝ぼけながら電話に出た。
「なんすか?こんな朝早く」
「悪いことは言わない、今日は家から出るな。絶対バイクに乗るな」
「ええ?ああはい、なんかわからねっすけど、わかりました」
まどろみの中ではあったが、孝治さんは確かにそう言った。
(念のため俺も今日は外出せずにいよう)
夕方、電話が鳴った。Rさんと孝治さんの共通の友人、光さんからだった。Rさんが電話に出る。
「もしもし、光?」
「おい、孝治さんが事故った!すぐ来い!!」
(あいつ……!出るなって言ったのに!)
バイクに乗るのはまずいと直感したRさんは、自転車に跨り、孝治さんの家に向かった。
「うわ……!」
孝治さんの家に行くと、まず目に飛び込んできたのはグシャグシャに潰れたスクーターだった。その横に、手足に包帯を巻いた孝治さんと、電話をかけて来た光さんがいた。
(孝治さん、生きてる……!良かった……)
Rさんは安心しながらも、忠告を無視した孝治さんに声をかけた。
「お前……どうして乗ったんだよ」
「いや……光さんに誘われて、動物園の裏山コースに走りに行って転んだんす」
スクーターはガードレールの下を潜って落ちて大破したが、孝治さんは振り落されて骨折で済んだ。他の人にも手伝ってもらってバイク引きずり上げて、家まで運んでもらったのだという。
「だから乗るなって言っただろ」
「命が有っただけ良しとしましょうよ」
孝治さんは悪びれなくそういった。光さんもそれに続いた。
「そうだそうだ、幽霊怖くて、単車乗れるか!」
だが、光さんがこの言葉に後悔するのは、2ヶ月程後の事だった。
Rさんは気味が悪く、バイクには乗らなくなっていた。ミラーも外しカバーを掛けてガレージの一番奥にしまい込んだ。
暖かくなって来たある日、光さんがこう言った。
「お前のバイク、スポーツタイプで速いだろ?暫く乗ってないみたいだし、貸してくれよ」
Rさんは眉を寄せた。
「貸すのはいいけど、このバイク良くないと思うぜ。言いたくないけど、たたられてるかも」
また事故が起きてはいけないと思い、Rさんは忠告した。だが光さんは笑って続けた。
「だーから。幽霊やお化けが怖くて、バイク乗れるかよ!さては貸したくなくて屁理屈こねてんな?」
「はあ……そこまで言うなら、好きにすれば良いよ」
「サンキュー!じゃ早速借りてくわ」
バイクのエンジンがかかり、遠ざかっていく。
その日の夜のことだった。深夜にインターフォンが鳴った。
ピンポーン
(こんな夜中に誰だ……?)
Rさんが玄関を開けると、そこには申し訳なさそうに光さんが立っていた。バイク屋の軽トラックに積まれたフロント周りがグシャグシャのバイクを運んで、Rさんの家にやってきたのだ。
「……すまん」
「おい、どうしたんだよ!?」
「直線で突然フロントから逃げて転倒して……、そのままガードレールに突っ込んだ」
Rさんは背筋に冷たいものを感じた。
(やっぱり事故が起きた……)
「もうこのまま、廃車にしちまおう」
「いや、借りて壊しておいてそれは出来ない。修理に出すよ」
その後、バイクは修理に出され、外装は殆ど新品と思えるほどにきれいになった。だがRさんは気味が悪く、乗る気は全く起きなかったという。バイクは相変わらずガレージの奥に放置してあった。ちょうどその頃に買った車が納車されたので、車ばかり乗っていたというのもある。
そんなある日、光さんが友人の秀樹さんを連れて家に現れた。放置してあるバイクを秀樹さんに売ってやって欲しいと言うのだ。
「これは良い事無いから乗らない方がいい」
Rさんは忠告した。だが秀樹さんは頼み込むようにしてこう言った。
「おれ貧乏学生で、バイク壊れちまってマジで困ってるんすよ、お願いします」
「いいだろ、お前しばらく乗ってないんだろ?せっかく綺麗になったのに」
光さんも続ける。Rさんは息を吐きながら、バイクを譲ることを決めた。
「ああ、そこまで言うなら分かった。……ヘルメットとグローブもおまけしてやる。これで事故られたら夢見悪いしな」
2ヶ月後、やはり、事故が起きた。
秀樹さんは交差点で横から出てきた車にフロントタイヤを当てられ、前輪とフォークが破損し転倒したのだ。だが怪我は無いと聞き、Rさんは胸を撫で下ろした。
「ああ、よかった……怪我がなくて」
「ほんと、心配かけてすみません」
だがさらに一か月後、再び秀樹さんは事故を起こす事になる。
秀樹さんは修理から帰って来たバイクに乗って、通学途中の慣れた道を走っていた。交差点で止まった時に大型乗用車に後ろから突っ込まれ、秀樹さんはバイクごと飛ばされたのだ。ヘルメットの顎紐が切れて脱げてしまい、秀樹さんは頭からアスファルトに突っ込んでしまった。脳挫傷と全身打撲で重体となった。
(……やっぱりあのバイクは、乗っちゃいけなかったんだ……あの女が……)
Rさんは、あの日自分の後ろに乗ってきた女のことを思い、ゾッとしたそうだ。
秀樹さんは手術の結果一命は取り留めたものの、後遺症が残り大学は辞めてしまった。そしてその事故でバイクは大破して本当に廃車になったそうだ。
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Rさんはこれほど悪意を身を持って感じたことはなかったと、そう語ってくれた。
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