
(ミステリーツアーレポート1の続き)
これは去る3月15日に筆者主催で行われたミステリーツアーのレポートである。
一行は大手町で将門の首塚を訪れた後、三越前で福徳神社、薬祖神社、それから
道中の複数の神社を参拝しつつ、小伝馬町まで歩いた。
小伝馬町のあたりは江戸時代に処刑場とされていた。
大安楽寺にある江戸伝馬町処刑場跡の碑に想いを馳せつつ歩いた。
▶大安楽寺 東京都中央区日本橋小伝馬町3−5
1872年(明治5年)、五大山不動院の住職が処刑場で亡くなった者たちを慰霊せんと勧進し、
1875年(明治8年)に大倉喜八郎、安田善次郎らの寄進を受け創建されたのが大安楽寺である。
寺名の大安楽寺の「大」は大倉、「安」は安田の名に由来するという。
この後、まだいくつかの神社を回ったのだが、この後どんな場所を巡ったかは伏せることにする。
理由は、奇妙な体験をした方がいたからだ。
これまでツアーを一緒に回ってきた一行の中に、K さんという群馬から来てくれた女性がいた。
Kさんは現在私が執筆中の『群馬の怖い話2』に怪異体験を提供してくださっている。
そのほかにも、胸が温まるような話や、背筋がぞっとする話をいくつか話してくれているが、
実際にお会いするのはこの日が初めてだった。
小伝馬町駅で解散した後、私は参加者にお礼のメッセージを送った。勿論、Kさんにも。
(Kさんも楽しんでもらえたかな……)
するとその夜、このようなメッセージが届いた。
「今日はありがとうございました。
実はE神社の参拝後に通った建物で、足だけが階段を上っているのを見たんです。
その時は、みんなが驚くかなと思って話せなかったのですが……。
他にも、最後に参拝したS神社では、写真を撮影した直後に服を引っ張られました」
まさかツアーの最中にそのようなことがあったと知って私は驚いた。
Kさんのメッセージはこう続いている。
「この世の人じゃない人が見えてしまうのは偶然だと思っていたのですが、実は、
もしかしたらと思っていることがあって……。
父方の家系は、私も、従姉妹も、”二番目の子”が、心霊体質みたいなんです。
だから、今回も何か連れて来ちゃったのかなって」
Kさんいわく、曾祖母がいわゆるイタコであったようだ。
しかし祖父、父とそのような特性はなく、Kさんの世代で出たのではないかということだった。
それから一週間後にはこんなメッセージが届いた。
「あの日帰宅してすぐに、”こんなことがありました”という動画を撮ったんです。
一週間経った今日、編集していたら、変な声が入っていて」
私は興味を惹かれて質問した。
「どんな声ですか?」
Kさんが続ける。
「はっきりした言葉ではなくて……、私が
“こんなことがあったんだ”
と話すと、
相槌を入れる感じなんです。
“服を引っ張られたんだけど、普通そんなことってないですよね~”
と話すと
”うん”
とか……。
明確に、相槌を打っている。
これまでに同じ部屋で何回も動画を撮影しているんですけど、初めて声が入ったので
自分でもびっくりしています」
声は何かに苦しむようなものではなく、会話に参加するような気軽いものだったという。
もしかしたら、怪異を楽しむ一行の楽し気な気配につられて、途中からツアー参加者が
一人増えていたのかも知れない。
真昼に都内を歩くミステリーツアーでも、実際に心霊体験をする人がいる。
怪異というのは実に身近なものなのだと改めて思った次第であった。
流行り病の情勢次第ではあるが、密集しないように気をつけながら、
今後も何度かツアーを開催する予定である。
その際にまた何か体験が聞けたら、是非また掲載したい。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
実話怪談があるよ!記事にしても良いよ!という方は、
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までお寄せくださいませ。
その際箇条書きで構いませんので怪異体験のことを簡単に記してありますと大変助かります。
(何年前・どこで・こんなことがあった、など)
志月かなででした。
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