
これはYさんという山口県出身の男性の体験談だ。
「俺は、いわゆる霊感はないと思っているんですけど……不思議な経験があって」
Yさんの一番最初の体験は、五歳頃だったという。
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当時一人で遊ぶことが多かったYさんは、その日も実家で一人で遊んでいた。
部屋の隣が中庭になっており、掃き出し窓を開けるとすぐ外に人が出られるつくりとなっていた。
その頃、よく遊びに来てくれていたおじさんがいたという。
十二時のサイレンが鳴ってからしばらく経った昼下がり、いつもふらっと中庭に現れていた。
おじさんと遊ぶ毎日が一週間ほど続いたある日のことだ。
「今日は暑いね~」
と、おじさんは当たり前のようにYさんに話しかけて、掃き出し窓のサッシの部分に
ちょこんと腰かけた。
「今日は何して遊ぼうか?」
「ウーン、じゃあ、かいじゅうごっこ!」
Yさんは当時ゴジラのおもちゃなどが好きで、それで一緒に遊ぼうとおじさんに提案した。
しばらく経つと祖母が来て、Yさんを不思議そうに見てから、こう言った。
「……あんた、誰と話しているの?」
「ここにいるおじさんと遊んでるんだよ~!」
Yさんは手に持った人形を、おじさんにぶつける。するとおじさんは
「やられた~、痛い~!」
と大げさにリアクションを取る。
Yさんが面白そうに笑っていると、祖母は慌てた様子でYさんの手を引っ張り部屋を出たという。
「なんで?おじさんとまだ遊びたい!」
Yさんはそう言ったが、祖母は
「そんな人いなかったんよ……」
と話したそうだ。
当時まだ存命だった祖父は、その話を耳にするとYさんにこう言って聞かせたという。
「あの部屋にはもう入るな。お前が会ったのは、死んどる人やからな」
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四十から五十くらいの男性で、水谷豊をもう少しくたびれさせたような雰囲気の、
笑ったところがきれいな人だったという。
「透けてるとかもなくて……気の良さそうな、普通のおじさんでしたよ。
現代日本の服装で……Tシャツジーパンを着てました」
大人になったYさんはそう話す。
「いつも、部屋の中に上がるというよりは、縁側のようなところにちょこんと座ってました。
その部屋に行かなくなってから、おじさんにも会っていないです」
もしかしたら、遊んでくれていたのは、既に亡くなっている親族の誰かだったのかもしれない。
祖母宅は戦争が始まる前からあった古い家で、家の目の前に川が流れていた。
Yさんが小学生にあがってから川で遊んでいると、祖母に怒られたそうだ。
後で知った話だが、そこでは頻繁に水死体が上がっていたという。
水辺に近い立地というのも、おじさんが頻繁に現れやすかった一因だったのしれないと
筆者は考える。
また、Yさんは二十代になるまでに車に三度轢かれかけていると話す。
雪が降る日、ウィンカーを出した車が近くを走っていた。
(ウィンカーも出ているし、こっちには来ないだろうな)
そう思っていると、急に車がYさんの方へ突っ込んで来たのだという。
「初めて走馬燈を見ましたよ。あ、俺、死んだんだなって。
世界がものすごくゆっくりになって、自分が倒れていくのがスローモーションに感じられました」
が、いずれも無傷で済んだという。
「怖いことからは、親族が守ってくれているのかもしれないなって……
そう思うことがあるんです」
その後、Yさんは祖母のすすめで自衛隊に入隊することになる。
そこでも不思議な経験をしていると話を聞かせてもらったので、次回以降紹介したい。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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志月かなででした。
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