200年前の遠距離恋愛が辛すぎた

200年前の遠距離恋愛が辛すぎた

鳥居清長《色道十二番(しきどうじゅうにばん)》

 

みなさん遠距離恋愛を経験したことありますか?また、このコラムを読んでくれている方の中に現在進行形で遠距離恋愛をしている方はいますか?

 

江戸時代にも遠距離恋愛は存在したのか?

わたしは存在したと考えています。なかなか連絡が取れなくて、会えるのは年に数日間という恋人たちがいたのです。

それは奥女中と、その恋人です。

 

わたしはこれを江戸時代の遠距離恋愛と感じ、この恋人たちの宿下りの春画を「遠距離恋愛春画」と呼び鑑賞していました。

あらかじめ伝えますが、奥女中とその恋人を遠距離恋愛中のカップルととらえ、その春画を遠距離恋愛中の尊い時間と想像して、勝手に胸が張り裂けそうになっているのは、おそらく私ぐらいです。

 

しかし今回ご紹介する春画に描かれてる恋人たちが、どのような想いでその時間を過ごしているのかを知ってもらえたらと思い、宿下りの春画を集めてみました。

 

そもそも宿下りとはナニ?

 

鳥居清長《あづまかがみ》

 

「宿下がり(やどさがり)」とは奉公をしているひとが休暇をもらうことである。

そのときに必ず身に着けていたのが、上の絵の女性たちが被っている「揚帽子(あげぼうし)」である。

わたしは初めて揚帽子を見たときに結婚式で花嫁が身に着ける角隠だと勘違いしてしまったのだが、この揚帽子は大きな武家屋敷や御殿の奥向きに奉公する腰元や女中などが外出をするときに身に着ける被り物だ。

 

肝心の宿下がり、つまり休暇をもらうことは現代の会社員の有給休暇のようにいつでも可能だったのかというと、そうではなかったようだ。

 

早川聞多氏の書籍「おとなの愉しみシリーズ1 春画」によると、大きな武家屋敷や御殿の奥女中の宿下がりは一般に3年に一度、3月5日頃とされていた。

奥女中たちは、たった3年間に1度の数日間しか休暇をもらえないのだ現代のように通信手段が普及していなかった江戸時代での3年間は恋人たちにとっては途方もなく長い期間だったことだろう。

 

数年に一度のかなり貴重な休暇に恋人と再会し、深く交わり愛の言葉を交わし合うのが宿下りの春画の特徴です。

3年ぶりに恋人と再会したカップルはどんな会話をしたのでしょうか。

「いつまでも こうしていておくれ」

 

鳥居清長《色道十二番(しきどうじゅうにばん)》

 

奥女中「いっそ気が遠くなる、いつまでもこうして居ておくれ。宿入りもお前に会うことだけが楽しみだ。」

若衆「わたしもまた、いく、それそれ」

彼女は好きな人に会うことだけを楽しみにお勤めに励み、やっと休暇をもらえたのでしょう。

久しぶりに会った人の匂いや声、表情が記憶に蘇り、「ずっとこうしていたい、やっぱり好きだ」と感じているのでしょう。

 

「秋まで会えないからたくさん楽しもう」

 

鳥居清長《欠題艶本》

 

彼氏「なんでも根くらべだ。命のつづく限りしよう」

彼女「これから秋の宿下りまでは会えないから、おもいきり堪能させておくれ。

それそれ又いくいく」

好きな人と会っている最中なのに、次はいつ会えるのかを考えてしまう心情はよくわかります。

今を思い切り楽しんでおくべきなのに、またしばらく会えないのだと思うと、会っている最中なのに寂しい気持ちになってしまいます。

 

 

鳥橋斎栄里《婦美の清書(ふみのきよがき)》

 

奥女中はお勤めをしているときは、男性と自由に交わることができませんでした。

どの程度、奥女中たちが性の欲求に抑圧を感じていたかは定かではありませんが、春画には奥女中同士が性具を使い互いに満たそうとしている絵がたくさん存在します。

例えば上の絵のように男根を模した張形と呼ばれる性具で相手に挿入してもらうことで、

まるで男性と交わっているような感覚になったようです。

これらのような奥女中同士の絵のほとんどは男性絵師により手がけられたものであるため、男性的な主観も絵には取り込まれていると思います。

しかし、奥女中に向けたセルフプレジャーを指南する書物も存在したようで、多くの人々が存在する屋敷の中で性の欲求を満たすことは楽しみでもある反面、課題でもあったようです。

 

 

「来年は、あなたと結婚する」

 

 

蓮の花が咲き乱れる上野の不忍池の辺りと思われる出会茶屋から、彼女の嬉しそうな笑い声が聞こえてくる気がしませんか。

絵の上にある題歌には

さする又思ひ忘れぬ憂き仲の袖にこぼるる蓮葉(はちすば)の露

とあります。

すごく久しぶりに再会した彼らは、蓮の花見ついでに出会茶屋(現代のラブホテルのような場所)に来たのかもしれません。

再会した彼らの心情は、まるで蓮の花のように満開になり、今まさに咲き乱れているのでしょう。

 

彼氏「ほんに(本当に)久しぶりだの。おめえ、おおかた御屋敷で面白いことができただろう」

彼女「私はどうでも来年は家に下がるから、おまえところへ嫁に行くよ。こういうことがあっては御奉公も、もうもういやだよ。もっときつうく突いておくれ」

 

 

鳥居清長《袖の巻(そでのまき)》

 

わたしは上野に行くたびに不忍池に存在した出会茶屋を思い出し、その場所でどれほど多くの人たちの人生が交錯したのだろうと考えてしまいます。

彼女のように恋人と離れている時間が長いほど毎日一緒に居られる生活に憧れたり、「早く結婚したいね」なんて会話を恋人とした経験がある方もいらっしゃるでしょう。

好きな人とずっと一緒にいたい気持ちに時代は関係ありません。

春画は「性のいとなみ」であり、それは「誰かの人生」です。

わたしは春画を作品として鑑賞するのも大好きですが、このように自分の人生で得た経験と重ね合わせることもします。

 

わたしのコラムでみなさんのお気に入りの一枚が見つかると嬉しいです。

 

 


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