ピカソとおそろいの春画が家に来た

ピカソとおそろいの春画が家に来た
5+

はじめまして春画―ル(しゅんがーる)と申します。

 

 

365日春画を見ることを生きる喜びとし、国内外にSNSで江戸期の春画や

性文化を発信しています。

不定期で春画バーというイベントを開催し、春画に囲まれた空間でわたしが再現した

江戸時代の潤滑剤やムラムラするお香などを体験してもらう時間を提供しています。

その他にも春画や性文化の記事を執筆し、自分の喜びと共にこの活動を趣味で続けています。

ちなみに上の写真は購入した春画を持って電車に乗ろうとしているところです。

 

春画とは「性のいとなみを描いた風俗画」である。

春画はわたしの生きるうえでの喜びや活力であり、癒しなのだ。

ひとりで家でお酒を飲みながらコレクションの春画に風を通しているときは至福の時間である。

 

 

春画を愛していた著名人はかなり多いのですが、画家のパブロ・ピカソ

春画を愛したひとりである。

彼の描いた絵には、春画からインスパイアされたような男女が交わる絵や、

蛸と女の絵もある。

身体のリアルな骨格よりも、魅せたい部分を大胆に表現する日本の春画の表現は、

キュビズムの創始に影響を与えたのではないかという説もある。

 

 

春画を含めた木版画の浮世絵について、ご存知ない方に簡単に補足すると、、、

 

浮世絵にはざっくり分けると手で描いた肉筆と木版画がある。

木版画は木に絵を彫り付けて紙に摺るので、現代の印刷技術のように

同じものを大量に作り出すことができる。

そのため同じ絵の木版浮世絵は海外の人に購入されることもあり、世界各地に膨大な数の浮世絵が

所蔵されている。

ちなみに版木は使用するほど劣化するので、摺りが遅いものほど墨の線がズレたり色版もずれる。

(そのため同じ絵でも初摺か後摺かで価値は異なる。)

 

ピカソは春画のコレクターでもあり、なんと偶然にもピカソが所蔵していた春画と同じもの

入手することができたのだ。今回その春画を初めてSNSに載せることにした。

 

その春画と出会うきっかけは、浮世絵に詳しい知人から

「こんな有名な絵が絵師不詳で安く売られている!」

と連絡が来たことであった。

その絵は有名な絵師の錦絵(多色摺りの木版画)であり、その絵師のものに間違いなかった。

 

この事実を友人から聞いた時には、もう誰かの手に渡っているであろうと思い込んでいた。

そのため「有名な絵なのに絵師不詳で安く売られることもあるんだなあ」と、

ぼんやり考えていただけだった。

しかし数週間後にインターネットからその絵を検索すると、まだその春画は販売中となっていた。

 

なんだか胸がざわざわした。

 

「これは買うべきではないのだろうか。」

 

思い込みとはすごいもので、欲しい!と思い出すと急に焦りが生じ、

こうしている間にも絵は売れてしまうのではないかという気持ちになった。

すぐに店に電話をして在庫の確認をしてもらった。まだあった。

取り置きをお願いして数日後に購入しに行くことにした。

 

 

最悪なことに、その日は雨で、浮世絵を購入しに行くにはベストな気候ではなかった。

しかしその日に絶対に買いに行くと決めていたので延期など考えられなかった。

大判の浮世絵の購入は初めてだったので、期待と少しの不安を感じながら

店員に名前を伝えて絵を出してもらった。

 

 

それは写真と変わらない美しい美しい大判の錦絵だった。

 

絵師 磯田湖龍斎『欠題組物』大判十二組物、安永五年(1776年)の作品である。

 

「可愛いいいい‼‼」と想いが声に出そうで、体中がくすぐったくて、嬉しかった。可愛い。

その場でおもちゃを買ってもらう子供のように邪気なくピョンと跳ね上がりたい気持ちだった。

 

全体的に褪色もなく、少々のシミやまぶたの手彩色に目をつぶっても

購入するには申し分ない状態だった。

 

何より破格の値段だった。

 

 

裏面から見ても摺りが美しいことがよくわかった。

 

この絵は数百年の間にどこで保管され、どんな人が見てきたのだろうか。

誰がどんな想いで購入し、どのような気持ちで手放したのだろうか。

 

この絵はわたしの知らない、予想もできない何百年もの長い旅の末にわたしと出会った。

もしかしたら海外にいたかもしれない。

わたしがここで見た絵はたくさんの歴史を背負った末の「いまここ」である。

わたしが責任を持ってこれからも保管するし、絵として生まれたからには

多くの人に見てもらうつもりである。

これからもこの絵は多くの人々を笑顔にし、感動させてくれるであろう。

そしてこの絵がわたしのところから去るときは、わたしがこの世から去るときであろう。

それくらい手放したくないと思っている。

 

 

上の画像は同じ大判の組物の一図なのだが、機関が所蔵している別の絵である。

 

 

照明の当たり具合の違いもあるが、性器の色や着物の色などを見てみると、

わたしの購入したものの方が色の褪色があまりない気がする。(うれしい)

 

この絵の内容を簡単に説明すると、

 

 

場所は裏庭の縁側だろう。

 

若衆「じきにしまふよ。そりゃそりゃー」

娘「アレサ 人が来るわな。あっちでしよう」

 

男の子から誘いかけ、女の子は誰かに見られることを恥ずかしがり、

場所を移動しようと言っている場面。

菊の花がお尻のあたりで満開に咲き誇っているところがじわじわくる絵だ。

 

 

よく見ると「きめ出し」と呼ばれる技術が使われており、

身体が立体的に表現され肉感が出ている。

こういう部分に気が付けるのは、画集を見るのではなく実物を見るときの醍醐味だ。

 

この欠題組物はストーリー仕立てではなく、一枚ごとに内容が独立している。

わたしは組物の一枚だけを手に入れたことになる。

この磯田湖龍斎の欠題組物の他の絵をご紹介すると

 

 

菖蒲の葉で編んだ菖蒲打の縄を握った弟のトメが、お姉ちゃんが楽しんでいる現場を

目撃してしまった場面である。

 

姉「あれ、トメの声がする。まず止めなよ」

若衆「なに、大事ない。もう行くぞ」

トメ(弟)「おやおや、マラをするは。母さんに言いつけよう」

 

春画にこどもが登場することはよくある。

そもそもこの時代の建物は現代のように間取りが完全に区切られていないので、

誰かが覗いていたり聞いているシーンはよく描かれているのだ。

 

 

旦那が寝ている間に間男が家に来た場面。

 

間男「いやもうもう、大の待ちかね山。ちょっとちょっと」

女房「今そっちへ行くよ。ここでは亭主が目を覚ますわな」

 

幸せそうに寝ている亭主がなんともあわれに感じてしまう。

このあと女房は別のところでお楽しみ、その後は何事もなかったかのように蚊帳の中に戻って

朝まで亭主と眠るのであろう。

蚊帳の網目をよく見てもらいたいのだが、かなり目が細かいのがわかる。

これらは全て人間の手で木に彫り付けているのだから超絶技巧である。

 

 

わたしは会社員であり、資金は潤沢でなくとも絵を買い所持する楽しさはよく分かる。

きっとピカソも自慢のコレクションをたまに見てはニコリと微笑み春画から元気をもらい、

数々の名作をこの世に生み出し続けたのだろう。

わたしはピカソとキュビズムのはなしはできなくても、春画のはなしならコーヒーを飲みながら

何時間でも楽しく話ができるだろう。

それぞれが持っている春画を見せ合いながら春画のおもしろさを語るのだ。

そんな妄想をしてしまう。

 

絵には誰かの人生に影響を与えるような力を秘めていると思う。

春画は性のいとなみを表現した絵であり、それは誰かの人生のいとなみである。

だから性別や年齢、国籍を超えて愛されるのだろう。ありがとう、春画。

 

次回のコラムは遠距離恋愛です。おたのしみに!

 


この記事を書いてくれた春画―ルさんのTwitterはこちら

@tuyashun

 

5+

この人へお仕事の依頼はこちら → リクエスト

カンレン

  • t