私の運命を決めた「起業」という決断

私の運命を決めた「起業」という決断

こんにちは、ぶちまきです。

 

前回の続きになりますが、今回お話ししたいのは、私の運命を決めた

「起業」

という決断についてです。

 

起業というと、「すごい」「私にはできない」「私何の取柄もないし」という方も、

とっても多いものですが、働き方の一つとしてとてもポピュラーになってきました。

同時に、起業する女性が多いのも今の時代の流れかもしれません。

 

私のように、会社に自分らしい生き方ができるポジションがなく、起業するのは

めずらしいかもしれませんね。

 

私が起業したきっかけは、娘の不登園。

やっとの思いで見つけたIT系のベンチャー企業。宮崎にはこの上はないくらいの会社。

私が入れたのは奇跡的だったのです。

お給料も良く、仕事の人間関係も良い、上司もちゃんと話を聞いてくれる方。

それに、同じ年齢のママも多くいたので、その点も安心できました。

 

 

ところが、仕事を始めて半年が過ぎたころ。

娘に、異変が起きました。

「ほいくえん、行きたくない。」

思えばこの言葉が、私の起業のスタートだった気がしてなりません。

特に何か目立った理由も全く見当たらず、園の先生に聞いても特にケンカもない様子。

 

はじめは、「ああ。単に面倒なんだな。」そんな風に思いました。

何とか本人をなだめで、園へ連れて行きいつものように定時まで仕事をし、

園に迎えに行きました。

特に朝のことも話さなかったので、まったく気にしていなかったのです。

 

 

その翌日からが地獄でした。

まず、布団から出てこない。なんとか引きずり出すも、着替えない。

やっとの思いで着替えさせた時には、もう出る時刻。その時の違和感は今でも忘れません。

その日から私の、不登園に悩む地獄の日々は始まりました。

 

実は、私自身もいじめに合い、小学校の1・2年生を学校に行かず家で引きこもっていました。

しかし娘には明確な理由もなく、

「何が嫌だったの?」「どうして行きたくないの?」と聞くも、

「行きたくないの」しか言いません。

 

私自身が不登校児だったこともあり、私は母に何としても学校に行けと言われ

さんざん泣いて暮らした2年間だったので、

できることなら彼女の言葉を尊重したいと思っていたのです。

 

でも、現実はそんなに甘くありませんでした。

彼女に寄り添うということは、彼女を休ませることになります。

そうなると必然的に私も一緒にお休みをすることに。

 

2、3日お休みして様子を見ていましたが、一向に彼女自身に変化はなく、

「行きたくない」はどんどん、大きくなっていきます。

そして私自身も不安を覚えるようになります。

 

このまま、娘に付き合ってやっとの思いで見つけた仕事をクビになったらどうしよう。

お給料はめっちゃ少なくなるし、支払いも困るしどうしよう。

こんな思いがずっとめぐっていました。

 

となると、途端に不安になり仕事に行きたくなります。

娘の気持ちなんて一旦おいて、生活が不安になってきます。

 

初めの一週間は、すぐにいつもの娘に戻るだろうとそればかりを信じていました。

ですが、一カ月を通して彼女の気持ちが前を向くこともなく、一カ月が過ぎ、上司と相談。

担当していた企業様の件数をぐっと減らし勤務にあたることに。

 

ですが、この状況が安定することなく、2・3カ月を過ぎたころ。

前にも増して、娘の状況が悪くなっていきました。

 

 

車に乗せるたびに、泣き叫ぶ。

園についてからはクラスに預けて階段を下りてくると後ろから追いかけてきて、

勢い余って転げ落ちてみたり。

この頃には、娘に対して私自身が、罪悪感の塊になっていました。

行きたくないのに無理やりクラスに押し込んで出ていく私。

「おかああさあああ~ん」という言葉に涙が溢れて止まりません。

何度、園の駐車場で泣いたことか。泣きはらした目で、仕事に向かう日々。

 

仕事は仕事で、園からの呼び出しがあると上司に頭を下げ、同僚に頭を下げ、

持っていた仕事を振り分けみんなが一生懸命仕事している中、日中に退社します。

気が付けば、お給料もパートさんよりも少ない額になっていて。

何をしてるか、分からなくなりました。

 

母親としても中途半端な自分、会社員としても中途半端な自分。

本当に自分は最低でどれ一つまともにできない奴なんだと心底思いました。

 

 

不登園ライフが半年を過ぎたころ、娘がすっとクラスに入った日があったのです。

時計を見たら、まだ9時過ぎ。

今日はガッツリ仕事できるかも!!と思って車に戻ってみたら、

目の前が砂嵐。何も見えなくなってしまいました。

 

貧血でした。

この6か月間、いつ食べていつ寝たのか、それさえ分からなくなっていて。

 

気が付けば車の中で動けず、上司に連絡。

「すみません、どうも貧血みたいで少し休んだら行きます。」そういう私に、

「今日は来なくていいから、一日自分のためにゆっくり寝てください。」

と言われました。

 

その言葉でどこか、張り詰めていたものが切れ、嗚咽するほど泣きました。

 

そして決めたのです。

母親としても娘の気持ちにしっかり寄り添ってあげられていない今の自分と、

会社員としても周りに迷惑かけるばかりで何の仕事もしていない自分。

これ以上、社会で働くことは難しいと思いました。

 

どこかにいた「何とかなるでしょ」という自分が無くなりました。

これがきっかけで、今の自分が居ます。

社会で自分の思うような働きは、ママになった私には今後できない。

たとえまた、会社員としてどこかに勤めても。

また娘が進学することで同じようなことが起きる可能性は捨てられない。

そう思ったら、もう外で働くことは難しいなあと感じました。

 

だからこそ、環境や状況に左右されず家で仕事しようと、開業したのです。

今ではこの出来事に心から感謝しています。

 

外で働くことしか、頭にない私が起業し、収入を得るライフスタイルになったのは

娘のことがあったから。

今ではこのライフスタイルが楽しくてとても充実しています。

娘に感謝です。

 

結局、娘の不登園は私が退社して1カ月を過ぎたころ、ぴたりと終わりました。

 

今思えば、余裕のない私を見るのが嫌だったのかもしれません。

私の起業するための何か一つのアクションだったのかもしれません。

どちらにしても、人生のきっかけは日常の些細なことの中に潜んでいると思います。

 

明日私の人生がどうなっているか、私も予測できないものです。

だからこそ、人生はおもしろいのかもしれませんね。

 

 

 


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カンレン

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