私の幼き頃の家族 

私の幼き頃の家族 

まず、幼ない頃の家族構成からお話しします。

 

 

私の家族は父、母、私、弟の4人。

 

 

 

私がもの心ついた時は

小さな町で少し歩けば親戚が近くにいる場所でアパート暮らしでした。

二階建てのアパート。 

 

お部屋は2ルームでたしか6畳ぐらいのお部屋でした。トイレはもちろん和式。

ちゃんと木の蓋がついていたトイレ。

お風呂は木のお風呂で沸かすには外にガスがあり、

玄関から出たすぐ横にあるガスにスイッチをいれる感じだったかな?! 

 

もちろん、テレビは木のテレビでチャンネルは手動で回す。

二階建てといっても一階は倉庫でした。

 

 

 

私のは、昔、一宮七夕まつりの飾りもののデザインをし、

七夕前日には朝方まで飾りつけをしたり、

名古屋駅のクリスマスの飾りつけをする仕事をしてました。

 

とにかく、若く活発な父で今とは全く違うかっこいい自慢の父でした(笑)

私の事が大好きでいつも頬ズリをする父でした。

ヒゲが痛いと言ってもしつこかったなぁ〜(笑)

七夕になると本物の大きな竹をもらい七夕の飾りつけをし、アパートの階段に飾ってました。

 

相当でかいというか本格的な七夕の飾りであり竹も大きかったので毎年、

ご近所さんが見に来てました。

 

 

 

はとにかく目立つ人で

授業参観に来るとお前の母さんヤンキーとか言われてましたが、

今は当時の母のことを知る友人はみんな綺麗なお母さんだったなって言ってくれます。

目立つ存在だったようです。

 

 

なぜ、小さなアパートに住んでたかというと

どうも若いうちに駆け落ちしたと親戚のおばさんに聞きました。

そんな情熱的な恋愛してたのか?今や母は父が邪魔で仕方ないみたいですが。

そんなもんですよね。好きになることは簡単だけど、好きでい続けることは難しい。

 

私は離婚して、独り身だから、いくらでも恋愛出来るけど、

母とか父は若くから一緒にいて、他の人と恋愛したいなぁ?なんて思わなかったんだろうか?

 

私は周りからは元気だね、若いねって言われます。

息子はいますが母らしいことあまりしてないから。

お互いに名前で呼びあい、友達感覚なんで。

 

今でもドキドキしたいし、好きなことしたい!

多分、母とは違う生き方してるでしょう。

でも、そんな母でなかったら、私は私らしく入れなかったかもしれませんね。

要するに欲しがりなんでしょうね(笑) 

 

 

 

は私が怖いお姉ちゃんだったんじゃないかなぁ?

母におつかい頼まれると、金魚のフンみたいに後ろからついて来て、

お店について頼まれたもののみをレジに持っていくと必ず、

お姉ちゃん、このお菓子欲しい!!

って言うんです。

 

まぁ、今と私は変わらないとこなんですが、

お母さんは余分なものは買ってはいけないと言ったから、お菓子は買わないと。

必ず約束を守る私は弟が泣こうがわめこうが、絶対、譲らず、家に帰ることがよくありました。

 

だから、ご近所もいつも買い物へ行くお店では、

みわちゃんはホントしっかりした子だわ

とよく言われました。

今は弟と私の立場は逆転しましたが、昔はかなり弟いじめも繰り返しましたねぇ。

このように昔を思い出しながら書いていると昭和って今みたいに便利さはないけど、

ホント良い時代でした。

 

味わっていない昭和60年代から平成の子に昭和の良さを見てもらいたかったなぁ。

芸能人も一流な感じで手の届かない雰囲気とオーラ。

電話は黒電話。

遊びはヒーローごっこ、サッカー、おままごと、お医者さんごっこ。

キャンディーキャンディーのお医者さんバックが欲しくて、

泣きながら父におねだりしたことあります。

 

 

若い頃ってあっという間に過ぎてしまう。

もっと大事に生きていけば良かったと若い子には思ってもらいたいですね。

なんでもある世の中、物の大切さ、人は人がいないと生きていけないこと

忘れかけている今。

もう一度、大事に生きて自分を周りを大切にしてほしいものです。 

 

 

 


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カンレン

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